日本でパンの発展に尽くした外国人達

パン

長年米を主食としてきた日本ですが今ではパンを主食としている人も多くなってきました。

昔は日本のパンといえばアンパンなど饅頭のような柔らかいパンが好まれていましたが今では、バゲットなどフランスパン、デニッシュやドイツパンなど西洋の本格的で美味しいパンも多くなり日本のパン文化も多種多様となった。

そんな日本のパンの発展に尽くしてきた外国人達を紹介します。

ハインリッヒ・フロインドリーブ Heinrich Freundlieb(1884年 – 1955年) 

1884年にドイツのテューリンゲン州に生まれたハインリッヒフロインドリーブは、14歳でパン屋の見習いとして働き始め、18歳からはベーカーとして10年間ドイツ海軍に従事しました。
30歳を過ぎた頃、徴兵により軍隊に復帰。第一次世界大戦中に日本軍の捕虜となり、日本で迎えた終戦の翌年には敷島製パン株式会社の初代技師長に就任しました。

フロインドリーブの指示でドイツ式の大きな石窯を作り、パンの作り方、焼き方を指導し敷島製パンの事業がスタートしました。本社工場の設計をはじめ、1921年まで技術面の全ての指揮を任されていたとされます。

1924年、40歳の時に日本の妻ヨンと2人で神戸の中山手に「フロインドリーブ」を開店。本格的なドイツパンを日本に広めたとされる夫婦の歩みは、後にNHKの連続テレビドラマ「風見鶏」のモデルとなり、全国にその名が一気に広がりました。

カール・ヘス(チャリヘス)Carl Jacob Hess(1838~1897)

日本の西洋料理の歴史を語る上では外すことの出来ない、日本の西洋料理の源流ともいえる築地精養軒の初代料理長。
 パン作りにも優れ、東京一のパン屋と言われた「チャリ舎」というパン屋を開業し、日本における本格フランスパンの開祖とも言われる。
 英語読みで「チャーリー・ヘス」と読むことから、「チャリヘス」という愛称でも親しまれた。

「チャリ舎」のパンは日本ではじめての本格的なフランスパンとして人気を博し、業容拡大してパン工場を建設するまでに至り、「東京でパンと言えばチャリ舎」と言われるくらい指折りの評価を得て、小売販売だけでなく、多くの西洋料理店や鉄道などにもパンを卸していた。

日本人女性の綿谷よしと結婚し、日本のパンの発展に尽くしたチャリヘスは1897年に59歳で亡くなるがチャリヘスのもとでは多くのパン職人が育った。

レイモン・カルヴェル Raymond Calvel、(1913年 – 2005年)

レイモン・カルヴェルは1913年フランス南部のラングドッグ=ルション地方に農家の息子として生まれる。パン屋の修行中に受けた製パン講習会で最優秀生となったことで1936年にパリの国立製粉学校に招かれる。1939年には教授となりフランスのパン技術指導に貢献する。

1954年には日本に3か月間滞在し、全国の17会場で国際パン技術講習会を開催、本格的なバゲット・クロワッサン・ブリオッシュを日本に初めて紹介した。1964年から1965年には再び日本を訪れ、パン製造の実演者として若いフィリップ・ビゴを藤井パンの藤井幸男に紹介。カルヴェルとビゴは藤井幸男による日本初のフランスパン屋「ドンク」の開店に協力した。

1978年に退官して名誉教授となるとヨーロッパ全域、北米、南米、日本、中国を回って指導した。2005年に他界した。

レイモン・カルヴェルは20世紀フランスのパン業界の権威。日本では「パンの神様」とも呼ばれる。

フィリップ・ビゴ Phillippe Camille Alphonse Bigot(1942年-2018年)

フルネームはフィリップ・カミーユ・アルフォンス・ビゴ。1942年フランスのノルマンディー地方イヴレ・レヴェックで生まれた。生家は祖父の代から続くパン屋であった。ビゴは8歳の時から父親の仕事を手伝い始め、義務教育を終えた14歳の時から見習いとして働くようになった。15歳の時に父親と喧嘩をして家を飛び出し、ラ・ガレンヌ・コロンブの別のパン屋で見習いを続けた。

17歳の時にパリに出て国立製粉学校でパン職人の職業適性証を取得し正式なパン職人となる。

1965年4月、ビゴは日本の東京で開かれる見本市でパンを焼く職人の募集に応じ、日本へ渡った。

見本市終了後、ドンクに招きいれられる。その後ドンクの技術指導員として美味しいフランスパンを日本へ広めブームを起こし日本でのフランスパンの礎を築いていく。

ロバート・クラーク

横浜といえば、1859年の開港以来、日本の文明開化を支えた貿易の要の地です。

横浜が開港してすぐ、外国人の居留地がありそこでイギリス人のロバート・クラークさんという方が、船員向けの『ヨコハマベーカリー』というパン屋をしていた。

日本で最初の食パンを作ったのが現在のウチキパンの前身であるヨコハマベーカリーです。

ここから食パンは全国へ広がります。

ヨコハマベーカリーはの経営者ロバート・クラークがイギリスから横浜にやってきたのが文久2年1862年である。

ピエール・ブッシュ

1981年、日本ではじめての自家製酵母種パン専門店であるルヴァンを創業。1985年、オーガニック原料の輸入と、国産小麦による自家製酵母種パンを手がける(株)ノヴァを設立。現在はベーカリー部門を閉じ、酵母の研究にいそしむ。

いま自家製酵母のパンはさまざまな場所で見かけられるものになった。だが、この人がいなければ、現在の隆盛はなかっただろう。ピエール・ブッシュ。フランスから、パン・ド・カンパーニュを伝えた男。

おわり

今回は日本のパンの発展に尽くした外国人達6人を紹介しましたがここに載せているのはほんの一部です。

アンデルセンのデニッシュペストリーの礎を築いたデンマークの職人ペーターセン

ポンパドウルのフランスパン技術指導したパトリス・ジョリー

など各ベーカリーで本場の味を日本へ伝える為に尽くしてきた人は大勢います。

今日本のパンは世界大会で優勝するなど世界でも高いレベルのパンが焼かれています。

私たちが日本で美味しいパンを食べられるのは、そんな外国人達とその技術を受け継いで日々試行錯誤している日本のパン職人のおかげですね。

パン・お菓子作りの材料・器具専門店【TOMIZ(富澤商店)】

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